僕とワーキングホリデー ニュージーランド編その①

僕のワーキングホリデー、ニュージーランド(通称ワーホリ)は1997年でした。当時20歳と6ヶ月、初めての海外がニュージーランドでした。

海外で生活をするというのは、高校生時代からの漠然としてではあるが、夢、目標でした。正確に言うと、大学に通い、一年の休学を利用して、ワーキングホリデーでオーストラリアに行くというのが夢でした。でもまあ、大学には行かなかったし、(行けなかった?(笑))オーストラリアではなく、ニュージーランドになっちゃったけれど。

当時1997年はインターネットなどはなく、海外生活に関する情報は全て、自力で探すのが基本でした。まあ、ほとんどが本屋さんにある”地球の歩き方”とかワーキングホリデーガイドのような物でしたけれど。だから特段偉そうにいうこともないのだけれど

僕は今もそうだが、情報収集は苦手な方で、そんなのに苦労するぐらいなら、お金を払って全部やってもらった方が楽じゃん!という考え方です。僕は躊躇わず、エージェントに手続きの丸投げをするという手段を選びました。確か”地球の歩き方”の巻末の方に幾つかのワーキングホリデー斡旋エージェントのひとつを選びました。確か30万円ぐらいだったかな。

エージェントに頼むという行為に”腰抜け”とか、”全然意味ない”とか、当時から辛口の無意味なマウント攻撃はありましたけれど、僕はとくべつ気にしていなかったな。なんせ、繰り返しになるけれど初めての海外で、しかも一年住み続けるなんて20歳のクソガキには大冒険でした。親が安心するというのも大きかったしね。

そこでそのエージェントにいろいろ相談して、ニュージーランド行きを決めました。当時、ワーキングホリデー制度は3カ国しかありませんでした。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでした。

一番人気はカナダでした。やっぱり、北米で、都会もあって、アメリカの真隣というのが理由でしょう。その次がオーストラリア、んでニュージーランドです。ニュージーランドは最不人気国でした・・・けれど、簡単だったんです。健康診断書、レントゲン写真、大使館とのやりとり、ビザ発給の人数制限、その当たり前の手続き、障害がほとんど無かったんです。誰でも簡単な書類を提出すれば、すぐにビザが発給されました。笑っちゃうくらい簡単でした。

そして約四半世紀たった今でも忘れられない。7月12日に僕は福岡空港に向けて出発しました

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