僕のワーキングホリデー④

フラット探しのため、Mさんに連れられて、Grey Lynnにやってきました。

今もそこには当時と同じ形で建物が残っています。当時としても結構な年季が入っていましたが、お値段の安さと比較的出入りの自由さで、特に男の子には人気のフラットでした。

そのフラットは4棟あって、たくさんの人が共同生活をしていました。

シティーからも近いし、バス亭まで近いし、バスの種類を沢山選べられると言う話だったので、そこに決めました。

当時の値段で100ドルだったか、120ドルでした。

ニュージーランドは家賃は週払いです。はっきり言って、当時も今も高いです。

東京に一人暮らしをした方が安いんじゃないかな?と思われるぐらい、家賃を持っていかれます。仕方がないんだけれど、ちなみに、2020年現在、家賃を700ドルくらい払っています。一軒家ですけど、やっぱり高いよねえ。

当時はテレビチャンネルも4つしかなく、娯楽なんて本当になかったので、とにかくつまんなかったです。(笑)

若い人には酷な環境だったでしょうね。僕は田舎の人間なので特に不便はなかったけれど

生活拠点を手にいれた、さて次は仕事

1997年、当時の僕は20歳でした。当たり前ですが、英語は出来ません。それに加えて職業経験はほぼありませんでした。そんで当時は今現在のように、たくさんの日系企業があったわけではありませんでした。当時の僕が選べれる職業というのは、以下の三つだけでした。

  • 日本食レストランやテイクアウェイなどの飲食店に勤める
  • 日本食材を運ぶ卸問屋に勤める
  • 清掃会社に勤める

至極シンプルでした。当時の景気や雇用の事情もあって、調理以外は望めないとのことで、僕は先ほどのエージェントのMさんに連れられて大手テイクアウェイがあるニューマーケットに連れていかれました。

そのテイクアウェイショップにはたくさんの日本人が働いていましたが、他にも現地ニュージーランド人、タイ人、サモア人、中国人、インド人なども働いており、英会話も上達するだろうなと考え、そこに決めました。

(結果としてですが、ここで働いてよかったです。英会話能力が格段に上がりました。ワーキングホリデー10ヶ月くらいここで働きましたが、とてもよかったです。後々ですが、ワークビザもここでサポートしてもらいました。)

トライアルという、体験試験を受けて、僕は晴れてお仕事を持つことができました。

ここでの10ヶ月間、いろいろなことがありました、虐め、嫌がらせ、もありましたが、20年以上たった今では本当にかけがいの無い一年でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA